神社での参拝のし方
「円満な感じ」のする神社さまに行って、
お清めをするこころで、
「参拝」に向かいます。
一礼をして、
神殿の前で、お賽銭を投げて、
鈴を鳴らし、
礼拝します。
その後、「祈願」。
感謝の意を表して、
神殿を去ります。
神社さまには、御心(みこころ)が、いると考えています。
むかし、目黒区内の
古い神社さまに参拝したことがあります。
近くでしごとをしていた関係で、昼食時に、近くを散歩しました。
古い懐かしい感じがして、旧知の仲のようです。
親しい人に合う気持ちで、社やしろを訪れました。
むかしの人々は、優しくて、気持ちがおおらかで、
明るい気持ちで、よく来たねと応えてくれる。
そういう人々は、明治、大正、昭和初期より前の人々です。
たぶん、この世を離れ、霊魂になられているのでしょう。
姿・形は、ありませんが、わたしにはわかります。
また、そのうちに、目黒を訪ねてみるつもりです。
そこは、清水という処です。

行き方は、
目黒駅前から、③『大岡山小学校前』行き の東急バスに乗ります。
権之助坂を通り、大鳥神社前、元競馬場前、目黒消防署を過ぎて、清水で下車する。
目黒郵便局の手前。
ここは、縁あって、学生時代からたびたび来ていましたが、
いいひとが多い土地です。
古くから栄えた土地であると推察され、縄文時代~奈良時代にかけての貝塚や古代遺跡が
たくさんあるところです。
霊性こそ重要であるとすると、
わたしは、かって東中野に住んでいました。そこは、寺社仏閣・教会が多い地域です。
そのせいか、わたしは、渋谷区の教会のある大学に通いました。
その後、コンピュータの技師になったのです。
清水に近い、三井信託・中央三井信託の下目黒センターに来ていたのです。
碑文谷エリアには、いろいろと古代の遺跡があります。古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀頃)に造られた「狐塚古墳」をはじめ、縄文時代や古代〜中世にかけての遺跡が複数登録・確認されています。
狐塚古墳(碑文谷2丁目)目黒区遺跡番号25番に登録されている古墳時代の遺構です。当初は一辺約9mの方墳で周濠を備えていましたが、現在は墳丘の一部が崩れ、円墳状になっています。
円融寺遺跡(碑文谷1丁目)現在の「圓融寺」周辺に広がる遺跡で、縄文時代の早期・前期から中世にかけての遺物が多数出土しています。縄文土器のほか、中世〜近世の掘立柱建物跡や井戸なども見つかっています。
碑文谷殿山遺跡(碑文谷5丁目)碑文谷公園の弁天池南側(かつて「殿山」と呼ばれた高台)にあったとされる中世の城館跡です。円融寺の釈迦堂古代遺跡からは時代が下がりますが、境内にある釈迦堂は室町時代中期(1393年〜1466年頃)に建立されたもので、東京23区内の木造建築物としては最古級の重要文化財です。周辺の代表的な遺跡碑文谷のすぐ隣に位置する東山・大橋エリアには、さらに大規模な古代遺跡があります。
東山貝塚遺跡:縄文時代中期から晩期の竪穴住居跡や墓が発見されている国指定史跡です。
大橋遺跡:縄文時代中期の竪穴住居跡が90軒以上も発見された大規模な集落遺跡です。詳細な出土品や歴史については、目黒区公式サイトの目黒区の遺跡ページで確認できます。さらに具体的な資料を見たい方は、「めぐろ歴史資料館」などを訪れてみるのもおすすめです。
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